本講では映画や文学作品など、ジャズを扱ったさまざまな日本の文化表現を観たり読んだりし、そして各時代のジャズ音楽に耳を傾けたりすることによって、日本人にとってのジャズの「意味」を考察する。昭和初期から現在まで、実に驚くほど多くの文化人たちがジャズに言及し、しかも自らの作品にジャズを題材に使ってきたことは注目に値する。ところが、なぜジャズが(少なくともある時代の文化人達に)圧倒的に好まれたのだろうか。この問いに答えるには、戦前の近代化過程と急変するメディア、戦争と占領、日本の安保闘争とアメリカでの黒人民権運動などの、いわば「非音楽的」要素も考慮する必要があろう。あるいは、この授業ではジャズを通して日本文化を見直しながら、日本文化を通してジャズの意味を問いただすことになる、と換言できよう。
ジャズを通して、戦後日本文化を見直しながら、戦後日本における多様な文化表象を通じて(映画・文学・コメディなど)ジャズを捉えなおすことが主目的である。とくに、異文化の音楽としてジャズの異議、そしてその音楽に付与されたさまざまな意味合いを検討する。
本授業では映画や文学作品でのジャズの使い方に注目し、それによって抽象的なはずであるという〈音〉に対し、どのような意味が付与されるのか検討する。そのためには、さまざまなジャズを聴くことも不可欠であることはいうまでもないだろう。したがって、〈読む〉〈観る〉〈聴く〉ことを通して音楽と文化との関係を〈考える〉にいたることが本授業の最終目標である。さらに、授業に新たな一面を加える方法として、「ジャズ現場」を選び(ライブハウスやジャズ喫茶など)、学生が二人一組になってその場を訪れ、店内の構造、そしてその構造によって形成される「小社会」およびそこで醸成される聴取習慣を分析し、学期末には授業で発表する。映像や録音など多様なメディアの使用も歓迎。なお、発表時間は一組当たり約15分として、その後に質疑応答の時間を設ける。学期末までに、質疑応答を含めて各自が訪れた「音楽現場」でのフィールドワークを踏まえて、個別に最終レポートを提出する。(注:本授業でのテキストおよびディスカッションはすべて日本語で行われる。)
一回目 イントロダクション――昭和初期のダンスホールと映画での「ジャズ・ソング」(ディック・ミネなど)から終戦まで
二回目 終戦直後のジャズ(1)――スイング・服部良一と日本式ブギウギ、笠置シズ子など)
三回目 終戦直後のジャズ(2)――黒澤明の映画でみられるジャズ像
四回目 1958年というジャズ受容の分岐点――『嵐を呼ぶ男』の混在型ジャズ像/フランス映画『死刑台のエレベーター』とモダンジャズの到来(マイルス・デイヴィス)
五回目 ファンキー・ブーム――アート・ブレイキーの初来日コンサート/石原新太郎の「ファンキー・ジャンプ」
六回目 モダンジャズ喫茶全盛時代(1)
七回目 モダンジャズ喫茶全盛時代(2)――フィールドワーク: 現場に出かけよ!
八回目 コルトレーン時代と政治的解釈――ラディカルなジャズ評論家たち相倉久人と平岡正明
九回目 五木寛之のジャズ小説――「さらばモスクワ愚連隊」
10回目 日本のフリー・ジャズ時代――山下洋輔、富樫允彦、佐藤允彦、阿部薫など
11回目 フリージャズと前衛ピンク映画――若松孝二、足立正生、大和屋竺の映画作品
12回目 村上春樹のジャズ・エッセイと小説
13回目 学生発表
14回目 学生発表、最終まとめ、各自レポート提出
授業のための映画鑑賞と音楽聴取は基本的に授業の時間内で行われるが、ときに宿題として読む文学作品や評論のテキストがあり、その場合はコピーを事前に配り、テキストを取り上げる当日までに学生各自が読了してくるべきである。
Aを履修した学生がBを履修してもよい。学生の達成度に従って別課題を与える。
人数制限をする場合があるので、1回目の授業には必ず出席すること。
定期的出席とディスカッションでの積極的な参加は不可欠。また、フィールドワークに対し、授業での一組二人による口頭発表に加えて各自が提出するレポートも評価の対象となる。
連絡先:世界文明センター(内線3892)